周辺施設の案内

荒川の自然や歴史について学ぶことのできるさまざまな施設を紹介します。

 


遊ぶ

A. 荒川岩淵緑地

荒川の風を感じられる多目的グラウンド。野球、フィールドワークなどの利用が可能。
荒川の風を感じられる多目的グラウンド。野球、フィールドワークなどの利用が可能。

J. バーベキュー広場

荒川の河川敷を利用したバーベキュー場。 駐車場は北区立岩淵関緑地駐車場(有料)。
荒川の河川敷を利用したバーベキュー場。 駐車場は北区立岩淵関緑地駐車場(有料)。

L. 北区・子どもの水辺

自然地の再生整備事業によりつくられた水辺。 自然観察や環境学習などが行われており、誰でも自由に使用することができる。
自然地の再生整備事業によりつくられた水辺。 自然観察や環境学習などが行われており、誰でも自由に使用することができる。

見る

B. 岩淵水門

旧岩淵水門に代わり新しく建設された水門。 洪水時には扉を閉めて荒川から隅田川への水の流入を防ぐ。 これより下流が隅田川。
旧岩淵水門に代わり新しく建設された水門。 洪水時には扉を閉めて荒川から隅田川への水の流入を防ぐ。 これより下流が隅田川。

C. 旧・岩淵水門

荒川放水路工事の際治水の要として青山士監修のもと建設された水門。 老朽化や計画高水位の変更により現在は使われていないが、歴史的建造物として保存されている。 ・経済産業省「近代化産業遺産」 ・東京都選定歴史的建造物 ・北区景観百選
荒川放水路工事の際治水の要として青山士監修のもと建設された水門。 老朽化や計画高水位の変更により現在は使われていないが、歴史的建造物として保存されている。 ・経済産業省「近代化産業遺産」 ・東京都選定歴史的建造物 ・北区景観百選

D. 草刈の碑

昭和13年から昭和18年までの6ヶ年、荒川土手で草刈競技が行われていた。 現在の全国高校野球選手権さながらの全国的行事で、草刈日本一の栄冠を争った。
昭和13年から昭和18年までの6ヶ年、荒川土手で草刈競技が行われていた。 現在の全国高校野球選手権さながらの全国的行事で、草刈日本一の栄冠を争った。

E.「月を射る」

平成8年「第2回荒川リバーアートコンテスト」での特賞受賞作品
平成8年「第2回荒川リバーアートコンテスト」での特賞受賞作品

F. 攝政宮殿下御野立之跡

大正13年10月25日に荒川放水路通水後の様子を攝政宮殿下(昭和天皇)がこの場所から視察された
大正13年10月25日に荒川放水路通水後の様子を攝政宮殿下(昭和天皇)がこの場所から視察された

G. 水位標柱

過去の洪水の水位を示した標柱。 今の川面と比較できるようになっている
過去の洪水の水位を示した標柱。 今の川面と比較できるようになっている

H. ボードウォーク

荒川の水辺に設置されているボードウォーク
荒川の水辺に設置されているボードウォーク

I. 岩淵緊急用船着場

平常時は高規格堤防などの河川工事に必要な土砂等の運搬の拠点や、水上バスの発着場として機能。 災害時には緊急用河川敷道路と接続して東京湾から内陸部への輸送の拠点となる
平常時は高規格堤防などの河川工事に必要な土砂等の運搬の拠点や、水上バスの発着場として機能。 災害時には緊急用河川敷道路と接続して東京湾から内陸部への輸送の拠点となる

K. 岩淵水門(上)水位観測所

荒川の水位を観測する施設。 ここで観測された水位をもとに荒川下流部の洪水予報が発表される
荒川の水位を観測する施設。 ここで観測された水位をもとに荒川下流部の洪水予報が発表される

M. 水神様

水神様は人の生命や財産を奪う洪水に対し「その怒りを鎮め、水難に遭わないように」という祈りを込めて祀られる風習があり、荒川放水路事業着手時、当時の事務所構内(現在の江戸川区小松川)に水神様が建立された。 その後、昭和40年2月にこの場所に移転された。
水神様は人の生命や財産を奪う洪水に対し「その怒りを鎮め、水難に遭わないように」という祈りを込めて祀られる風習があり、荒川放水路事業着手時、当時の事務所構内(現在の江戸川区小松川)に水神様が建立された。 その後、昭和40年2月にこの場所に移転された。

N. 治水大成碑

荒川放水路と旧岩淵水門の完成を記念し、青山士を含む工事関係者らで建てた記念碑。碑文には「此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ」とある
荒川放水路と旧岩淵水門の完成を記念し、青山士を含む工事関係者らで建てた記念碑。碑文には「此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ」とある

O. 船堀閘門頭頂部

荒川放水路完成後、水位の異なる中川との船の通航のために江戸川区につくられた船堀閘門(昭和4年竣工)の頭頂部。 船堀橋閘門は昭和54年撤去され、頭頂部だけが資料館前に移転し残されている。
荒川放水路完成後、水位の異なる中川との船の通航のために江戸川区につくられた船堀閘門(昭和4年竣工)の頭頂部。 船堀橋閘門は昭和54年撤去され、頭頂部だけが資料館前に移転し残されている。